IE9ピン留め
シミュレータ演習
第一日目、無事終了!
電車待ちの間にちょっと報告。

道路は大丈夫でしたが、まだ雪は結構残ってました。

いつもとおなじことをするのですが、今回からはこれが「資格」取得の一環となるところに違いがあります。

いずれにしても、京都市内だけでなく北部でこうした研修ができたのは、とても意味のあることだと感じました。


# by daisaku613 | 2012-01-29 16:28 | medical care | Trackback | Comments(3)
ある言葉
たまたまこどもたちがみてた教育テレビ。
そのままチャンネルが変えられることなく、福祉系番組に。
テーマは「双極性障がい」。こりゃみんとあかんわなぁ、ぐらいの感じでゆる〜く見てた。

みんなやっぱりそこで苦しんでるんやなぁ、って共感したし、ピアな仲間がいるっていいなぁっておもったり。

ある女性が「鬱に落ちてるときは『ゼロ』にもならないし、躁になると疲れてるのにそれを感じられなくて・・・」って吐露してた。

司会かな?作家の石田衣良(作品は読んだことない)が最後に「落ちてても決してゼロではないし、ハイになったからってダメでもない。その時々のあなたの人格が尊重されるべき存在で、それとうまくつきあうのは確かに必要かもしれないけど、その人格をきちんと受け止めるべきなのは『社会のほう』ですから」と発言したときは、ちょっと泣いた。

いま、ほとんど強制的に躁状態にならざるを得ない状況にあって、帰宅後に落ちていきそうなところをこどもたちと馬鹿なことして遊んで踏ん張ってる。こどもたちが起きてる時間に帰ることができるときがほとんどないのがだんだんボディブローのように効いてきてる感じ。

今日は定休日。でも結局はほぼ一日走り回って集会や研修会の準備。電話やメールやfaxでの研修日程の調整。まあこの業界、定休日なんてあってないものやしね。生活支援である以上は。

週末も福知山で泊まり。
翌日研修会を仕切らないといけない。

落ちることも確かにある。
でも、落ちきらずに続けられてる。
休みはなかなかとれないけれど、今は仕方ない。踏ん張るしかない。

# by daisaku613 | 2012-01-26 20:51 | welfare | Trackback | Comments(0)
tree

寒い。

鎖骨折れたまま、バイクで飛び回ってる。
痛みはもうない。でもコキコキしてる。偽関節か・・・・。

週末はまた福知山へ。

本業は当事者の立場に立つと、事業所と折り合いがつかない。
ってことはその事業所が・・・・あかんあかん、守秘義務違反や。

まだまだこれから。
っていうかずーっとこれから。

続ける、が今年のテーマやしね。



# by daisaku613 | 2012-01-26 16:35 | photo | Trackback | Comments(0)
初競演!
小学校3年生から、毎年一曲は作って発表してる娘。
今年の曲はギターで伴奏してほしい、ってことで「自分で弾いてみたら?」とはいったものの
なかなかすぐにギターが弾けるわけもなく。

そこでおやじに声がかかって、ここひと月ほどの間に一緒に練習してきて今日が本番。


いい曲ができて、いい本番を終えられて、おやじは幸せでございます。

また一緒にステージに立つことはあるんだろうか?
あったら、きっとうれしいよなぁ。

おつかれさん。
ありがとう。

ロマン楽器の西川先生、ご指導いつもありがとうございます!

先生!お花ありがとうございました!

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# by daisaku613 | 2012-01-22 15:53 | music | Trackback | Comments(4)
研修
今週から特定の者研修が始まる。

電話がひっきりなしになる。
「テキストを自分で用意するってことですか?」とか
「なんで研修受けないといけないんですか?」とか。

テキストを公費で配れないのは僕の責任ではないけれど、よその自治体では受講料をとってるところもあるから、それぐらいは負担してもらってもいいかな?と思った自分が悪いのかもしれない。

研修を受けなければいけない、ってことに関しては各事業所で判断してほしい。
研修を受けずに注入の実施をしたら直ちに摘発されて罪に問われるのか?ということを考えてほしい。
それぐらいの理論武装はしてほしい。それぐらいの学習はしてほしい。
「実質的違法性阻却」と「違法性阻却」の違いについて、きちんと認識してほしい。

この法制化への動きが始まったのは2010年7月。
一年半の議論を今になって「知らなかった」と言われても、僕にはどうしようもない。
忙しかった、って僕も忙しかったよ。でもずっと議論を追いかけてきたし、自分の課題として関わってきたつもり。

確かに行政は一度も事業者向けに説明をしていないし、いつもHPに載せてるだけで「見て当たり前」という態度に終始している。「それではあかん!」と何度も繰り返してきたけど。そやから、そこに情報が載るたびに僕はメールやfaxで知りうる事業所全部に連絡をいれて、情報にアクセスしてもらうように努力してきた。送ったメールやfaxの総数は百の単位なんかには決して収まらない数。大晦日にも大量に情報発信しに、事務所へ走ったから。

それでも「申し込みに間に合わなかったんでどうしたらいいですか?」と言われたら、「違法性阻却」でいくか4月以降の登録研修機関での研修を受講するしかない、としか答えようがない。

自分の力不足や器の小ささにいまは完全にノックアウト。

でもそうした一連の流れに無関心のまま、医療的ケアに携わってきた人たちがこんなにいたんだ、というのも驚き。支援者(という言葉をつかうなら)としての主体性はどこにあるのか?

こんな法制化なんて個人的にはまっぴらごめんやけど、それでも当初示されたとんでもない研修体制に比べたら、検討会の委員として参加くださった心ある方々のおかげでずいぶんと現実に即したものになったと思ってる。そしてそれが制度としてできてしまった以上は、それをどううまく活用するのか?というところでがんばらんと仕方ないやん!自立支援法施行の時も、できる過程からもちろん反対してたけど、できたら批判は続けながらもそれに乗っていかざるをえないわけやん。そうしてきたやん(ってこの春で終わる体系移行に今頃してるところもぎょうーさんあって、その間がっぽり措置費をもろたはったところもたくさんあるわけで気が滅入るけど)。

ちょっとブレイク取ったので、再始動やな。
エンジンかからへんかったら、押しがけや!

# by daisaku613 | 2012-01-18 17:00 | confession | Trackback | Comments(0)
rose


I love roses.

for carlos,in Tokyo.
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# by daisaku613 | 2012-01-12 23:13 | photo | Trackback | Comments(0)
19歳からの歴史
君が19歳のときに、僕たちは出会った。
胃潰瘍で吐血した僕を看護してくれた君と、一緒に生きてきた。

君と生きてきたから今の僕がいる。
娘は僕たち夫婦にとって、生まれてきたことが奇跡だった。
その娘が、命がけの手術を乗り越えたのも、また奇跡だった。
ムンテラで執刀医は「いのちは救います。ただ重篤な後遺症のため、一生話したり歩いたりできないかもしれません」と言われた。
僕たちは、それがどういう意味かわかっていたけど、「生きている」ということに希望を託した。
だって君はいのちに寄り添うナースとして働いていたから。
そして僕は生徒指導に明け暮れるそれまでの教育実践から、障がい児教育に身を転じた。
そこで「医療的ケア」ってことばと、それでくくられてしまう重度障がい児と出会った。
「吸引」は毎晩娘にしてたし、全然抵抗はなかった。むしろ「していいの?」というひとの感覚が信じられなかった。
吸引しなかったら、最悪窒息するこどもをまえに「法律が・・・」というものは、教育という仕事から離れた方がいい。
荒れた中学で、暴走するこどもたちを最終的に司法の手に委ねないといけなくなったとき、教育の敗北と感じた。
目の前で呼吸困難に陥りそうなこどもに、「先生は法律で助けられないの」というのは、荒れた中学におきかえれば「生徒がガラスを割ったら少年係の刑事に連絡すればいい」というのと一緒だ。
そんなことする教師に一体何が教えられるのか?

いま福祉の現場で、いろんな課題に関わるようになり、君には一層迷惑をかけることになったね。
とくに経済的にはとても苦しい思いをさせているし、とにかく勤務時間が終わってからの会議ばかりの職場だから
一緒に夕食をとれることもほとんどなく、4人のこどもたちの面倒も任せっぱなしになってる。

互いに若い頃、とても貧しい経験をした。
今も経済的には決して余裕があるわけではないけれど、まあなんとかなるよね。

これからは互いにキャリアの仕上げにかかる時期になるね。
子育ても思春期から就学前と幅広い課題があるけど、ふたりならなんとかなるよきっと。
僕は時々、許せないことに対して怒るけど、それはこの先もきっと変わらないと思います。
君はいつもそんな僕を「始まったなぁ〜!さ〜てと、どう眺めるかな?」って見てる。

これからも何かとお世話になります。

誕生日おめでとう。


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# by daisaku613 | 2012-01-08 22:17 | family | Trackback | Comments(8)
今年も大変かも?
年末年始。
支援体制に入ることを申し出たけど、いらないって。
おかげでここ数年経験したことない「連休」を過ごした。
といいつつも、いろんな電話やメールがあるわけで、それに対応しつつで「生活に休みはないやんな」とあらためて思うわけで。

新年といっても、日付が一日変わっただけで、特になにか特別今年だから!ということはないつもり。
せっかくの休みなので、普段なかなか読めない本を2冊買って読んでみる(S先生からの宿題の本はまだ入手できてない)。

「アシュリー事件」はちょっと今更?という気がしないでもないけど、実は今年という年はこのあたりをきっちりとおさえないといけないと思って。
この本の中でも「尊厳」という日本語が何度も出てくるが、原典の英語でdignityが使われているのか?sanctityが使われているのか?がわからないが
文脈ではdignityだろうな、ということは十分想像できるしその理解で間違いないだろう。

なんでアシュリー事件なのか?というと、今月招集される通常国会に「尊厳死法」が上程されるかも?といわれているから。
高齢者の胃ロウ増設をめぐって「無駄な延命では?」と、せっせと胃ロウを作った医師本人が疑問を呈したり、それをNHKが何度か特集したのが昨年。
それ以前から「尊厳死協会」という団体が、一定の政治力をもってロビー活動をしていて「死ぬときにいろんなチューブにつながれたりするようなことは尊厳にもとる」と主張している。
元気で、自分で意思決定し、意思表示できる人がいわゆる「リビングウィル」でもって、自分の「生の最後を決める」のは自由だと思う。
でも彼らはそれを「自分らしい死に方」というように認識しているようだ。

だれか、「死」を経験したことがある人がいるのだろうか?
いるなら教えてください。「死ぬ瞬間っていったいどこでしたか?」って聞きたい。
でも、世界中の誰一人としてそれを語れる人はいない。
だれも「体験しえないこと」=「死ぬということ」なのだ。
だからわかりもしないものに「尊厳」を求めても意味がない。
僕たちが求められるのは「尊厳ある生」でしかない。
その「生の終わり」として時系列として連続した状態像の先に「死」があるだけのこと。
ただ「臓器提供のための脳死体」を除いては。

その臓器提供意思についても「家族の承諾でいい」ことにされてしまった。
年末だったか、わかりやすいニュース解説で有名な人の長時間の番組を少しの時間だけ見たけど
ちょうど「今年初めて行われた医療は?」というような問題で、答えが「15歳未満からの臓器提供」という瞬間をみた。
この人、わかりやすく丁寧に説明するとか、相手にきちんと理解してもらうための本とかもだしてるけど、その「15歳未満のドナー」についてはまったく触れなかった。
自殺を図って電車に飛び込んだ少年から、家族の承諾で臓器を摘出し、移植した、という大きな問題をはらんだ移植を、さらっと流した瞬間に「こどもニュース」時代から信用してた気持ちがガラガラと崩れた。
中学生(おそらく)が自殺を図ったら、普通は学校での様子だとか様々な背景について、みんなが必死に考えて「なぜ救えなかったのか?」と問い続けるのではないのか?
家族関係においてその少年は全く問題を抱えていなかったのか?もし何かの苦しみが家族関係にあったとしたら(ないはずと信じたいけど)、「家族による承諾」はあり得ないはず。

尊厳死法に絡んで、「終末期」の定義づけなども熱心に議論されるようになってきた。
科学が、つまりは医学/医療が万能だ!とまだ信じてる人が大多数なのはわかる。
でも、同時に多くの人がいまなお続く原発事故への対応に不安をもっていることをみれば、科学というのは蓋然性しか語れないことは既に明らかになったわけで、それは医学も一緒。
それなのに「こうなればかならずこうなる」とまだ言い切る移植医たち。
科学技術が万能ではないことが露呈しているのに。

さらに警戒してるのは「意思表示が困難な場合の治療・ケアの減衰」が言われ始めていること。
上述の高齢者の胃ロウ問題で「認知症が進行し意思疎通が困難な人の延命は?」という形で語られ始めているけれど、そもそもそういう方に胃ロウ増設をする際に十分に検討すべきことではなかったのか?
「胃ロウ=無駄な延命」というような語られ方だけど、それはもともと障がい児で嚥下障がいのある場合の栄養補給の手段として開発されてきた。
それによって、命をつなぎ、人生を生きている障がい児者の生まで、おなじ論理で語られてはたまらない。
多くの人が、胃ロウから栄養をとりながら人生を謳歌している重度障がい者の「実体」を知らないのに、そういう話が先に広まっていく、あるいはマスコミがそちらよりの報道に力点を置いていることにとても怖いものを感じている。

障がい児者医療に関わる医師のなかでも「選択医療」とかいう言葉で、「もういいんじゃない?」といい始める人が出てきた。
おいおい、家族の承諾でも「あやうい状況」が現実にあるのに、治療者が「もう治療を打ち切ってもいいんじゃない?」って言っていいのか?

尊厳死法案は「医師による治療中止についての、実質的『違法性阻却』適応」が狙いのようだ。

この流れ、おかしいと思ってる。
でも尊厳死法案を考える議員連盟の幹事は、現役の厚生労働大臣である小宮山洋子だ。
出来レースか?
いや、それはなんとかしないと!

震災以来、日本のみならず、世界中で「いのち」と「きずな(つながり)」の価値の見直しがされてきているなかで、障がいが重いがゆえ(認知症が進行した状態も、認知行動における障がいととらえるべき)に「もういいんじゃないの?」と他人に「生の終わり」を決められてしまう人が出ることをゆるしてはならない!というのが僕の考え方だ。

年末年始に普段あり得ない時間を過ごすなかで、そうした大きなうねりをもう一度確認した上で、自分がどう行動するのか?周囲にどう伝えるのか?ということを考えて日常に戻る。

震災と移植医療と障がい児者や高齢者のいのちはつながっている、ひとつの流れの中にある。

昨日、シサム工房でTシャツを買った。
売り上げの一部は「放射能からこどもを守るネットワーク福島」に送られるから。
中手さんの活動に賛同の意を表するために。
放射能から逃れて、京都に住まれている方々に連帯の意思を表明するために。
それは「生きさせろ!」という根本的な人間の欲求を、わざわざ口に出さなければいけないという、いまのこの国への抵抗というところで、普段の仕事/働きとつながっているんだ!

# by daisaku613 | 2012-01-03 20:40 | bioethics | Trackback | Comments(0)
new year's eve
もうすぐ一つの年が終わり、新しい年が始まる。

いろいろありすぎて、簡単に総括できない一年やったなぁ〜としか言えない。

というかまだ総括することなんかできない、という一年ということか。

新春から、青野さんの活動が一気にひろがった。
そこに震災がおこった。2度東北へ行ったけど、まだまだつながっていきたい。
バイクは散々。
医療的ケア法制化の動きは加速し、さくら会さんたちの命がけの努力で現実に引き戻した。
そして今、その研修事業の委託を受けるべく最後の調整に入ってる。

年明けは研修事業が始まる。
もれなく、中身ある研修にするために、全力をつくす。

同時に被災地(東北・紀伊半島など)での障がい児者支援を続けていく。

青野さんの活動もますます展開していくだろう。
新しい支援者と一緒に支えていく。

そしてなによりも、僕をこの世界、福祉の世界に導いてくれた青年たちの
ありのままの生き様をしっかりと受け止めていけるように、力を尽くす。

家族にとっても大きな一年になりそう。
さくらは中3。受験。
自分にあったいい進路を開拓してほしい。
息子たちはただまっすぐにやりたいことに全力をつくせ!
妻への心配りは、今まで以上に心を尽くそう。

僕は、書家や陶芸家の青年たちと「共に生きる」と誓って愛隣館で働くことにした。
そろそろ10年近くになってこようとする来年は、その原点に今一度立ち返ろう。
さくらが僕たちのこどもとして生まれてきてくれたから出会った彼ら。
だから彼らと共に生きる、ということは家族を大切にすることとつながっている。

僕も(いまは違っても)医療的ケアを必要とするこどもの親だった。
自分自身も様々なことに関わる中で、心に重い病を負ってもう20年近くになる。
当事者として、当事者家族として、僕は弱さをけっして隠さず、弱さ(と見られる)でつながる
人々とのつながりをこの先の人生の、生きる根っこにしよう。

いま、暖かい部屋で妻と二人で新たな年を迎えようとしている。
でもこの瞬間に、さびしい、つらい、かなしい、寒い思いをしている人がいることを忘れない。
暖かいところに自分がいることを、いくら責めても何も生まれないから
暖かいところにいるからこそできることをしよう。
自分にエネルギーがないと、誰かのエネルギーにはなれないかもしれないけど、
僕はきっとエネルギーがなくてもつながる、つながってくださる方々から力をもらえると信じてるから
先のことを思い悩むことなく、目の前の一つひとつの課題に全力を尽くそう。

うん、きっとそうにちがいない。

走り続ける!歩み続ける!動き続ける!支え続ける!支えられ続ける!(お世話になります)

つまり「続ける」ということが、いまの僕に必要なことだから。


# by daisaku613 | 2011-12-31 23:58 | confession | Trackback | Comments(4)
デート
仕事納めからかえると家はもぬけの殻。
そうか、こどもたちは実家か。

今日は一日「絶対仕事せえへん!」と決めつつも、やはり電話などあるわけで。

夕方に時間ができそうだったので、何年ぶりかに妻とデート。
行き先は愛隣館の陶芸の師匠:ダレン・ダモンテ氏が営む「bistroだもん亭」in近江八幡。


ノートを見ると、青野と一緒に行ったのが3.10とわかり、すこし複雑な気持ちに。
でも今日はいつも子育てを任せきりになってしまいそうな妻と、久しぶりにディナーだ。
ひととき二人だけの時間を持たせてもらおう。

おいしい食事は、愛と笑いが作り出す!という師匠のことばに納得。

焼きたての天然酵母パンに打ち立てパスタ。
こんな贅沢な時間を過ごしていいのか?とふと不安になりながら、
あれだけ走り続けた一年の息抜きだから、許されるだろうと祈ってみる。

あいにく明日は急遽仕事が入った。京都府研修に絡んで至急連絡をしないと行けないんだけど
うっかり資料は事務所のデスク。

朝、早いうちに済ませてしまおう。

ps
バイクになんとか乗れそうです!
満員電車通勤から解放されるのか?俺?


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# by daisaku613 | 2011-12-31 00:27 | love | Trackback | Comments(2)
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